この説話の内容をより深く理解するためには荘子の考え方全体の中で位置づけなければなりませんが、簡単に言ってしまえば、「夢が現実か、現実が夢なのか? しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」という境地を指し示しています。
日本でも「胡蝶の夢」という説話として有名な話であり、全文と訳を掲載しておきます(フリー百科事典・ウィキペディア「胡蝶の夢」)。
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原文
昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。
不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
訳文
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。
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荘周(荘子) |
それは逆説的でもありますが、人為を極端に排除しつつも、荘周の著作や生き方から考えると、人為の極みである儒学・儒教、さらにその開祖である孔子を必ずしも批判していないことからでも明らかです。荘周はむしろ儒家出身者ではないかという説もあるぐらいですが、十分ありえるべきことで、いわばアンチテーゼとして無為を説くという姿勢があったと考えたほうが良いかもしれません。
それは、荘周の思想が、先行したとされる老子の考え方と集合して、老荘思想(道家)としてまとまり、魏晋南北朝時代(184年-589年)に一世を風靡する清談に受け継がれていくという歴史の流れにも沿うものと考えられます。逆にこの魏晋南北朝時代の貴族社会から、隋唐時代(581年-907年)に確立した、儒学・儒教一辺倒となる、いかにも中国らしい科挙制度による律令・官僚社会への変遷とも呼応しているとも言えます。
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