江淹 |
江淹に関する詳細は立身出世や、文学上の位置などは、フリー百科事典・ウィキペディア「江淹」などに譲りますが、江淹には先程説明したように、2種類、3つの夢に関するエピソードがあります。2種類というのは、「筆を得て」と「筆を失って」になりますが、三つの夢というのは、そのうち「筆を失って」には異説があるというものです。
まず、1種類1つの夢しかない「筆を得て」からについて。これは、「夢筆生花」とも呼ばれる故事で、まさに「江淹得笔聪」ですが、ある日の夢の中で、江淹は神人に会い、5色の神の筆を与えられます。これ以降、江淹の文才が花開き、大文学者の道を歩み、名声を勝ち得ていくことになる、というものです。『蒙求』という書物にあるお話です。
また、「夢筆生花」ということで言えば、五代十国時代の王仁裕『开元天宝遗事·梦笔头生花』に、唐の大詩人・李白の故事として出典が見られます。また、「夢筆生花」は独特の景観で有名な黄山(安徽省/現在は世界遺産)に、筆のような、峰から花が生えたような景観についても、「黄山夢筆生花」などと言われます。この「黄山夢筆生花」は、李白が黄山に遊んだ際の伝説にも登場します。
もう一つが、「筆を失って」の方で、最も有名な「江淹才尽く」「江郎才尽」です。梁の鍾嶸の『詩品』によると「江淹が宣城太守を辞任し、首都建康への帰路の途中(起源500年ごろ)、夢に郭璞を名乗る美丈夫が現れた。江淹に長年預けてきた自分の筆を返してほしいと言ったので、江淹は懐にあった五色の筆を彼に返したところ、それ以来詩が作れなくなり、世間の人々は江淹の才が尽きたと言うようになった」というものです。劉璠の『梁典』にも似た話が収録されています。
その異説として、唐の李延寿の『南史』では『詩品』と同じような話のほかに、「夢に西晋の詩人張協(張景陽)が現れ、預けていた自分の錦を返してほしいと言った。江淹が懐にあった錦を取り出したところ、数尺しか残っていなかった。張協はこんなに使われては用がないと怒り、錦を丘遅に与えてしまうと、それ以後江淹の文才が尽きてしまった」というもう一つのお話があります。
この故事を受け、日本では、文人の文才が枯渇することを意味するようになりましたが、中国でもそうした意味があると同時に、中国では現在においても、江淹の「才尽」を学術的に事実関係をつまびらかにしようという研究が盛んに行われています。江淹が晩年に差し掛かって文学活動を減少させていったというのは事実のようですが、それに当時の政治情勢や、江淹の生活環境の変化などで説明しよう、という試みです。
そういう説はさておき、このような夢のエピソードが本当にあったことかどうかはともかく、広く長く伝えられているのは、このような話がなければ、当時の感覚(血統主義、貴族社会)や王朝がころころと変わっていく政治情勢として、「寒門」出身者である江淹が、文学者として、またそれとも付随した政治活動としての出世として、かくも鮮やかな成功はなかったのではないか、と考えられたことによるのかもしれません。
少なくとも、夢は、当時の政治・社会状況とも密接にかかわりをもって、そのエピソードが成立している、ということは言えると思います。
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