2012年7月10日火曜日

黄粱巫峡事~黄粱、巫峽の事「邯鄲の夢と朝雲暮雨」

「黄粱巫峡事」は正確には「黄粱」「巫峡」という二つの事、二つの夢の例という意味になります。まず、「黄粱」について。これは「黄粱一夢」、つまり黄粱の一炊のほか、邯鄲の枕、邯鄲の夢など多数の呼び方がある、中国と夢のお話ということで言えば、日本で最も有名な故事でしょう。現在の夢オチの代表的な古典作品と言えます。

唐の沈既済の小説『枕中記』に収録されているもので、中国戦国時代、趙(紀元前403年 - 紀元前228年)の国の話。フリー百科事典・ウィキペディア「邯鄲の枕」から趣旨を紹介します。
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趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。

ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた栗粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。
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中国でももちろん有名な話に違いありませんが、歴史的にみると、あまり顧みられることのない故事の部類に入るかもしれません。とことん現世主義の、中国的ではない、中国では好かれにくい形式ともいえます。どちらかと言えば、栄枯盛衰、諸行無常という、今も昔も、日本人好みの話です。フリー百科事典・ウィキペディアでも、

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同義の日本の言葉としては「邯鄲夢の枕」、「邯鄲の夢」、「一炊の夢」、「黄粱の夢」など枚挙に暇がないが、一つの物語から多くの言い回しが派生、発生したことからは、日本の文化や価値観に長い間影響を与えたことが窺い知れる。
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と分析していますが、その通りでしょう。逆に今の中国では、Q&Aサイトに「黄粱の夢ってどんなお話?」というQが投稿されるほど、あまり馴染みのないものになっています。

といっても、「邯鄲夢の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「黄粱の夢」という言葉は日本でも「現在ではほとんどの言葉が使われる事がなくなっている」(フリー百科事典・ウィキペディア)ということなので、いずれ忘れ去られるかもしれません。

ではもう一つの「巫峡」について。こちらははっきり言ってしまえば、男女の営み、男女の契り・情交のこと、またはその夢、そのはかなさを指します。「巫峡」の原義はいわゆる、三峡のうちの一つです。フリー百科事典・ウィキペディアによれば、

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(一番上流にある瞿塘峡に続く巫峡は)重慶市と湖北省の境にある40km以上の長さの渓谷で、巫山山脈を北西から南東へ貫いて巫山山系の間を東西へ流れる。巫山の十二峰をはじめとする秀麗な景観が多くの文人に霊感を与えてきた。十二峰のなかでも神女峰は最高の見どころで雲の中に突端を突き出している。山が迫るために川面を太陽が照らすことは少ない。
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となります。この説明の中でも、男女の営み、特に「女神」を暗示させる言葉がいくつも出てくるのは偶然ではないでしょう。「巫峡夢」と言えば、中国の戦国時代の楚の第38代の王・頃襄王(けいじょうおう、紀元前?年-紀元前263年、在位:紀元前298年-紀元前263年。楚襄王とも)の夢の中での、「女神」とのラブロマンス、そのやり取りが元となった説話です。戦国時代の詩人・宋玉の「高唐賦」が出典です。「楚梦云雨」(楚夢雲雨、男女の緊密な様子のたとえ)という成語にもなっています。

この中から朝雲暮雨という、現在の中国でも日本でも使用されている成語が生まれてきます。朝雲暮雨こそが、男女の契り・情交のことなのです。朝雲暮雨の夢とも言います。くわしくはこちらの解説が秀逸です。特に「王因幸之」(王因りて之を幸す)は、この四文字に込められた深遠な意味を頭にはっきりと描ける、見事な表現といわざるを得ません。

そもそも、朝雲暮雨とは、朝は曇り、夕方は雨という意味で、それだけで天候の移り変わり、そこから転じて、「はかなさ」という意味合いが強くあります。国王が、夢で絶世の美女と戯れ楽しんでいたら夢から覚めた、という、まさに夢オチ。

「黄粱巫峡事」はあわせて「夢オチの事」と意訳しても良いような事例といえるでしょう。

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