2012年7月20日金曜日

得失皆梦~故事成語の宝庫『列子』記載、得るも失うも全て夢

「得失皆梦」は、『列子』に収録されているエピソードです。列子(れっし)は、春秋戦国時代の人、河南鄭州人である列御寇のこととされていますが、正式な記録もなく、実在が疑われている人でもあります。『列子』も道家思想を汲みながら、一部に仏教思想も見られることから、一部は後世に追加されたものとも考えられる書籍です。

しかし、『列子』は故事成語の宝庫で、杞憂、朝三暮四、愚公山を移す、男尊女卑など、日本でも馴染み深い言葉の出典になっています。疑心暗鬼という言葉も、本文にはないものの、その注から生まれた言葉になります。

「得失皆梦」はそれらと比べると、有名ではありませんが、奥深い話となっています。

蒔き拾いの人が、偶然、傷を負った鹿を打ち殺しました。とりあえず、その死骸を路傍に芭蕉の葉で蓋をして隠します。用が済んで鹿を隠したところまで戻ってくると、隠し場所を探すことができなくなってしまいました。そのため、彼は自分が夢を見ていたのだと思ってしまいます。

家に帰る途中、この蒔き拾いの人はこの奇怪な“夢”を別のある人に話しました。ある人はその話を聞いた後、隠し場所に行ってみると、鹿を見つけ出すことができました。ある人は鹿を家に持って帰り、得意げに奥さんに話しました。「あの蒔き拾いの人、鹿を打ったのに、得られず、夢を見たようだ」。奥さんが言いました。「あんたも今、鹿を得たのだから、夢を見ているかもしれないよ」。

蒔き拾いの人は自分の“夢”を忘れず念じ続けたため、その夜、本当に夢を見ました。その夢の中で、自分が鹿を隠した場所を見、また自分が話をしたある人が鹿を持ち帰ったことまで夢で見ました。次の日、蒔き拾いの人は鹿を持ち帰ったある人を探し出し、二人は喧嘩を始めます。

得るも失うも全て夢、ということになります。道家らしい説話と言えそうです。

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