後漢の文人・思想家である王充の旺盛な批判精神とその著作、思想体系によって、国の「夢解き」機能(制度、官職や為政者による重視)は薄れていくことになります。
しかし王充は、讖緯説・陰陽五行説以外にも、儒学・儒教に対しても厳しい批判を行ったことから、時が下って、隋唐から宋にいたり、朱子学がまとまり普及徹底していくにしたがって、儒学・儒教をイデオロギーとする支配体制が確立すると、異端視されて省みられることがなくなっていきます。
儒学・儒教体制を否定して生まれたという経緯のある現在の中国(中華人民共和国)においては、逆に一時期、孔子や儒学・儒教に対する批判の先駆者として評価されるようになります。これは、現状を批判し(本来はその中から社会を改善していこうとする)共産党的な考え方が、王充の旧習批判と接近したものだったという背景もありそうです。
それはともかく、王充の登場と影響力拡大によって、古来より続いた国営「夢解き」という伝統は衰え、国はむしろ夢判断・夢占いには関与しなくなり、そのため、逆に「夢解き」が民間に広まっていきます。国に独占されたものが民間に開放された、とも言えます。鉄道(JR)や通信(NTT)が、民営化したのに似ています。
JRもNTTも民営化することで、様々なしがらみがなくなり、独占による形骸が打破され、競争原理が働くことによって、業界が活性化したのと同じように、中国の夢判断、夢占いもここから急発展していくことになります。
夢判断、夢占いが国営ではなくなったことは、王侯貴族や官僚など上流階層の人々がそれらを行わなくなった、信じなくなったわけではありません。むしろ、一般庶民から、高貴な身分の方々まで、上から下まで、分け隔てなく、夢判断、夢占いというものを受け入れられるようになった、と考えた方がよいようです。これも、夢判断、夢占いが中国人の間に広く深く根付くようになった要因のようです。
2012年7月23日月曜日
2012年7月22日日曜日
夢解きは国家の一大事 打破したのは後漢・王充
中国では、古代より夢は特別なものでした。これは全世界に共通する考え方ではあります。中国の歴史においては良く使われる「先秦」時代(太古から、秦の始皇帝による中国統一、紀元前221年まで)において、国事と夢は切っても切り離せない関係があり、政策や人事、外交、軍事に至るまで、夢というものが大変尊重されました。夢を占うことが、最高統治者本人の重要時でもあり、少なくとも官職として重要な地位を占めることが通例でした。
しかし、裏を返せば、この時代までは夢は政治や政府とのつながり、一部の人間による独占支配下にあったといえます。夢を見るのは王侯貴族だけではありません。普通の人々も普通に夢を見ます。そのため、中国における夢判断、夢占いの歴史は古い、とはいえますが、国の首脳の独占状態にあったがために、大衆化、一般化することなく、ある意味では閉鎖的で、そのために停滞したとも言えます。
国や政府が夢判断、夢占いを独占事業として行う、ということに転機を迎えたのが、後漢(東漢とも、紀元25年-紀元220年)の文人で、思想家である王充(おうじゅう、紀元27年-紀元97年ごろ)の登場です。旧伝などの非合理を批判し合理的なものを追求した『論衡』という書の著者です。
さらっと書くとなんてことないようにみえますが、王充は上述の生没年の通り、イエス・キリストと同時代人と言えます。それだけ古い時代のことです。世界中、今の科学的な目から見れば迷信に満ちていた、それが当たり前の社会的ルールであった時代において、王充は非合理なものへの批判と合理性への追求を提唱したのです。
ちなみに、ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は動く」とつぶやいたという伝説のある地動説裁判は1633年、今からわずか400年ほど前のことです。王充は2000年も前の人になります。しかも、当時の権力者に忌避されるどころか、晩年に至るまで皇帝から官職に就くよう招聘されたとも言われます(著作への専念と病気により辞退)。
王充は王充の目で見て合理的とはいえない讖緯説・陰陽五行説などを批判しています。その中に夢判断、夢占いが含まれていました。王充の批判以後、徐々に国の機能としての「夢解き」が薄れていくことになります。
しかし、裏を返せば、この時代までは夢は政治や政府とのつながり、一部の人間による独占支配下にあったといえます。夢を見るのは王侯貴族だけではありません。普通の人々も普通に夢を見ます。そのため、中国における夢判断、夢占いの歴史は古い、とはいえますが、国の首脳の独占状態にあったがために、大衆化、一般化することなく、ある意味では閉鎖的で、そのために停滞したとも言えます。
国や政府が夢判断、夢占いを独占事業として行う、ということに転機を迎えたのが、後漢(東漢とも、紀元25年-紀元220年)の文人で、思想家である王充(おうじゅう、紀元27年-紀元97年ごろ)の登場です。旧伝などの非合理を批判し合理的なものを追求した『論衡』という書の著者です。
さらっと書くとなんてことないようにみえますが、王充は上述の生没年の通り、イエス・キリストと同時代人と言えます。それだけ古い時代のことです。世界中、今の科学的な目から見れば迷信に満ちていた、それが当たり前の社会的ルールであった時代において、王充は非合理なものへの批判と合理性への追求を提唱したのです。
ちなみに、ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は動く」とつぶやいたという伝説のある地動説裁判は1633年、今からわずか400年ほど前のことです。王充は2000年も前の人になります。しかも、当時の権力者に忌避されるどころか、晩年に至るまで皇帝から官職に就くよう招聘されたとも言われます(著作への専念と病気により辞退)。
王充は王充の目で見て合理的とはいえない讖緯説・陰陽五行説などを批判しています。その中に夢判断、夢占いが含まれていました。王充の批判以後、徐々に国の機能としての「夢解き」が薄れていくことになります。
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