今まで、庄周虚化蝶、吕望兆飞熊、丁固生松贵、江淹得笔聪、黄粱巫峡事という『周公解夢』の扉文に挙げられた、中国を代表するともいえる五つ(実際はもう少し複数)の夢に関するエピソードを紹介してきました。扉文にあるように、「紛紛たる夢はこれだけにきわまるものでは」ありませんが、これらのエピソードは少なくともいくつかのパターンを提示しているとは言えるでしょう。
・庄周虚化蝶
胡蝶の夢。「夢が現実か、現実が夢なのか? しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」という境地。これが事例の中でも最初に挙げられたのは、最も有名な夢に関するエピソードだからだけではなく、「夢」というもの、さらにその「夢解き」の極意を示すものだからだとも考えられます。
しかしこの境地、荘周の思想が色濃く反映しており、行き着く所は「無為」となり、実は現世主義の中国人とは対極の考え方を示すものとも言え、「邯鄲の枕」と同様、中国においては有名ではありますが、主流とはなりえないとも言えます。
これからも夢に関するエピソードを紹介してきますが、存外、道家思想に基づく内容のものというのは多いものです。庄周虚化蝶はもちろん、「邯鄲の枕」もそうと言えます。“存外”ではなく、必然かもしれません。中国人にとっての夢、というのはそのようなとらえ方だ、少なくともそのようなとらえ方もされる、と考えられます。
現実と夢をどのように整合性を取ってゆくのか、そして夢を解釈していくのか、という問題提起として、『周公解夢』の扉文に示された事例冒頭を飾るのに適した材料とは言えるでしょう。
・吕望兆飞熊
夢を現実の吉兆(逆の意味での凶兆)としてとらえるパターンの代表例。
・丁固生松贵
夢を将来的な成功、立身出世(逆の意味での失敗、衰退)としてとらえる、因果応報的なパターンの代表例。
・江淹得笔聪
人生の成功と没落を夢と因果付けるパターンの代表例。
・黄粱巫峡事
「邯鄲の夢」と「男女の情交及びはかなさ」という意味で、夢そのもののはかなさを暗示するもの。
おおよそ、以上のように総括できると思います。
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